院試体験記

 院試が終わって一ヶ月が経ち、ようやく精神的にも落ち着いてきたので記録を残しておきます。

 ※昨年のハノイ滞在についての記事は後半執筆中にトラブルがあり、そのまま放置して1年以上が経ってしまいました。もう詳細が思い出せないので更新はしませんが、日本の防疫がまだ厳しかった時期の渡航だったのでハノイの汚れた空気と毎晩ベッドにかけていた虫除けのせいでダメージを受けた呼吸器にヒヤヒヤし、もうその頃にはあまりベトナム国内では売っていなかった抗原検査キットを毎日どこかに買い求めていたことはここに記録しておきます。

 1.  受験校選定

 研究職以外の進路を考えていなかったので就職or院進という二択について悩むことはありませんでしたが、どの研究室に進学するかについてはかなり悩みました。海外宗教研究を専門に行うとなると自動的に地域か宗教のどちらかを軸と定めなければいけなくなってしまいます。学部で所属しているのは後者ですので地域研究系の学科を二つ検討しましたが、一つは教員と反りが合わないことが判明しており、もう一つは説明会で所属研究室でそのまま上がった方がキャリア形成に有利になるとアドバイスを頂いたために、特に行き場もなく半ば思考停止的に所属研究室の修士課程を受験しました。

 今考えると併願やもっと多くの大学を全く検討していなかったことを少し後悔しますが、いずれにせよ自分の研究と重なることをやっている教員がいる研究室はおそらく存在しないはずですから、最も間口が広い宗教学研究室を選んだのは正解だろうと現時点では判断しています。

2. 受験勉強

 筆記試験は外国語2種類と専門科目が出題されます。外国語は英語と第二外国語として一年生の時から選択していたロシア語で受験しました。過去問を見る限り英語文献を日常的に参照できるレベルであれば英語は困らないと踏んで殆ど勉強せず、研究に使用することのないロシア語の勉強をひたすらしました。『ロシア語重要単語2200』と『ロシア語初級読本』『ロシア語中級読本』を使用した記憶があります。『ロシア語中級読本』は正直難しすぎるとは思いますが、解説を見ながら読み進めることはかなり読解力をつけるのに役立ったと思います。

 専門科目については、研究室が出題範囲として提示している事典2冊を2周ずつ読みました。宗教学の基本知識をつけるという意味で有意義なのは理解していますが、ひたすらに宗教に関する事項の説明を読んで百科事典的な知識を身につける作業を短期間で行ったせいで、段々と紙面上の文字の羅列に何の意味があるのか、他者の有機的な生を分節していくことに意味はあるのか、と宗教学が白々しく思えてきてしまいました。今もこの感覚は拗らせており、元より研究は就職手段と割り切って考えてはいましたが、さらにこの考えは強化され、熱狂的な好奇心や研究活動への憧れ・情熱は無くなりました。

 夏季入試では卒論の書きかけを提出する必要があります。これが夏季入試への出願の最大のハードルと言って良いでしょう。自分の場合はSセメスターの終わりにAセメスターに行われる卒論ゼミの予行演習として発表する機会があり、ここで15kほど字数を稼げていたのであまり困りませんでしたが、もしこの発表機会がなければ出願に失敗していたでしょう。

3. 出願

 正直言ってもう出願したくありません。募集要項は学生側のフローチャートを提示するような発想に欠けており、注釈は適切な場所についておらず、教務課の手続きに最適化された形で記述されています。自分は事務処理が滅法苦手な性格ということもあり、後から5つほど記入ミスがあることに気づき、郵便局の方にお願いして書留として受理された願書を一度出してもらって訂正し再度提出するハメになりました。

 論文提出は願書より期日が後だったこともあって気が抜けてしまい、製本が必要だということに提出予定日当日に気づきました。とにかく自分の処理能力を超えていて辛かったです。自分の事務処理能力の欠落がいけないのでしょうが…。(余談ですが、卓越大学院の説明会で「卓越生は事務処理能力についても卓越していることが求められる」と冗談めかして言われたのはかなり悲しかったです。募集要項に書いておいて欲しいですね。)

4. 筆記試験

 英語を殆ど勉強していなかったツケが回ってきました。文脈は取れても採点基準に耐える訳が出せるかと言われると難しいレベルの文章が出題され、ロシア語も半分くらいは分からない単語が混ざっていたのでかなり文脈判断で解きました。正直今思い返しても5割取れていたのか疑問です。語学の足切りは厳然としていることから午前の語学の試験が終わった時点で落ちたことを確信し、各方面に泣きつきました。9月から就活を初めて内定なんかもらえるのか、来年1年はフリーターで食い繋ぎつつ就職を狙うのが良いのか、研究職にならないなら庭師になりたかったが普通免許を持っていないと厳しそうだから取っておけばよかった、今からでも借金して普通免許を取得した方が就職に有利なのではないか、等々完全に落ちた前提で将来のことをひたすら考えていました。

 昼休みを将来への不安で過ごしたせいか、専門科目の出来も散々でした。設問は例年通り英語で書かれた論考の要約と議論、それと単語説明問題の二本立てです。まず英語の読解の時点でかなり手間取り、自分で議論を膨らませる際にも引用する例の妥当性に自信が全くなく、今考えても薄っぺらい回答をしたものだと恥ずかしいです。単語記述問題も、直前に確認した人名についてド忘れするなど10問中5問も十分に答えられていなかったような気がするのですが…。

5. 面接試験

  以上のように散々な出来だったにもかかわらず、何故か筆記試験に合格していました。今考えても合格できた理由がわかりません。完全に落ちたものだと思っていたので、面接対策を全くしていませんでした。2日後に唐突に面接試験が出現してしまったものですからかなり焦り、修士の先輩に何を聞かれたかリサーチするとともに提出した論文の書きかけを読み直しました。

 試験では修士課程の研究計画について最初に説明を求められ、その後質疑を繰り返し30分ほどかかりました。質疑では、研究内容のみならず、今後研究者になった際にどのように立ち回るつもりなのか?同じテーマの研究が載るジャーナルについて把握しているのか?留学は検討しているのか?行くならどのあたりの大学院を検討しているのか?等の研究遂行能力に関することも質問されました。研究計画の時点でロシア語を使用する機会は殆どないことが明白なのに、ロシア語を今後研究で使う予定はあるのか?と質問されたのは今も意図がよくわかりません。最終的には卒論指導のような話になり流石に受かっているだろうと安心しましたが、何故筆記試験を通過できたのか聞く勇気もなくこの点はモヤモヤしたまま終わりました。

6. 終わりに

 ただ修士課程への入学試験を受けただけのはずなのに、終わってみたら研究への情熱が失われてしまった。今の原動力は研究という作業の質を高め、作業行為としての研究を評価されることであり、研究そのものの価値には懐疑的になった。これだけしらけることが修士課程に進む上で求められているのかどうかは知らないが、もしそのような隠れた意図を持って事典2冊という出題範囲を提示しているとしたら、極めて適切だと思う。

 また、東京大学は出願だけではなくさまざまな事務手続きについてもう少しわかりやすく書く、あるいは質問された際にはわかりやすく説明するという姿勢を身につける、などの改善をするべき。正直手続きにおいてトラブルなくこの大学を出られる気がしないし、もし大学教員になれたとしてもここに着任したら大変なことになりそうだという予感がある。

越南滞在記① 前日譚〜3日目

 ベトナムの首都ハノイに一週間滞在した。目的はベトナムの仏教に関連する辞書や研究書の買い出し及び寺社見物。ベトナム語は硬い文章なら読み書きできるが日常会話はさっぱり&英語は受験で使った中で一番苦手程度の語学力で生き延びた記録を残す。

 

前日譚

 4月か5月くらいにベトナム入国時の検疫が撤廃され、検査無しでの入国が可能になった。日本帰国時のPCR検査がネックだったが、在ベトナム日本大使館PCR検査可能な病院がピックアップされていたし、何よりベトジェットエアが出国便に無料バウチャーでPCR検査をつけていたから、まあなんとか行って帰ってこられるだろうと判断した。

 航空券は往復で370ドル程度。宿は一週間泊まって1万円程度。コロナ禍により外国人観光客が激減したせいで安宿はラブホテルになっていることが多く、宿を決めるのに苦戦した。

 元々今年の夏にベトナム渡航しようと考えてはいたが、舌の痛みに悩まされ大きな病院に罹るなど健康不安が頻発しており躊躇っていた。原因が亜鉛不足と判明したその日の夜に勢いで航空券と宿を取った。逆に勢いがなければ踏ん切りはつかなかっただろう。

 

1日目

 7/27。成田まで遠いのでとりあえず始発に乗るつもりだったが、出る直前に買いたい本の目録を作ったりTwitterに気を取られて乗り換えを間違えたりしたせいで結局予定より1時間遅れて成田に着いた。遅刻厳禁の時にTwitterを開くべきではない。

 いくら持っていくのかも決めていなかったが、空港でなんとなく5万円を下ろす。ATMは案外24時間営業ではないので注意。

 搭乗時、空港の職員に「在留カード持ってますか?」と聞かれる。ベトナム行きの便はベトナム人ばかりだった。おそらく日本で生まれてベトナムには初めて行くのであろうベトナム人同士の子供も多かった。まあベトナム人に間違われたのはツーブロックだったせいだと思う。日本人は顔認証ゲートを通るだけだし乗る人も少ないので超快適だったが、外国人の出国ゲートはごった返していた。

 搭乗率は9割くらいあったかのように思う。離陸前は明るいV-popが延々と流れていて、ちょっと気が狂いそうになった。

 LCCの安い座席で6時間近く拘束されるのは結構辛い。余裕があればベトナム航空などに乗るべきだと思う。寝られない昼便なら尚更。

ノイバイ空港

 当然と言えば当然なのだが、乗ったら本当にベトナムについてちょっとウケた。あまり現実味がなかった。空港近くに生えている木が明らかに日本とは違って上の方にこんもりと枝葉がついていて、外国に来たなとしみじみ感じた。因みに着陸時はしっとりしたベトナム謡曲が掛かった。テーマ性があってちょっとウケた。

 事前にAmazonで買ったSIMカードを差してアクティベート完了。povoは海外ローミングまだ対応していないので、ベトナム保健省のPCR検査登録に使う電話番号に使うべきではない。ログアウトされてしまったら一巻の終わりだとずっとヒヤヒヤしていたが、結局ログアウトされることはなかったからよかった。現地でSMS認証ができるかどうかは結構大切になってくるので、念頭に入れておくべきだと思う。

 入国審査はベトナム人も外国人も等しく有人審査。無言で公安の人間に睨まれるのは結構怖いが、まあ特に何か言われはしない。海外旅行保険と出国便は必須だと思っていたが何も聞かれなかった。

 受託手荷物が出てくるのがひたすら遅く、空腹で倒れるかと思った。税関ゲートも適当に通り、両替して準備完了。5万円が8600kドンに化けた。レートが渋いがまあ円安もあるし仕方ない。

 空港からハノイ中心部までは20km程度あるが、何で移動するか特に考えていなかった。公共バスの86番線に結局乗った。航空会社のミニバスとかタクシーとかなんか胡散臭いので。因みに86番線はインターネットだと35kドンと書いてあることが多い(し、ハノイ駅の停留所にもそう書いてある)が、今は45kドンかかる。

着いた時のテンションの高さを伺わせる、バスのチケットと釣り銭を写しただけの写真

 西湖・ホアンキエム湖の東側を通って中心地に到着。最終到着地はハノイ駅。宿はハノイ駅からすぐだったのでかなり使い勝手の良い路線だと思った。駅のすぐ近くにchùa tiên tíchという寺があり、即テンションが上がった。

ベトナムの寺の門はいつも格好いい

 

 6年前に来たのと変わらないガタガタの歩道と交通量の多さに少し怯みながらも宿にチェックインしたのが14時過ぎ。宿はおそらく家族経営で、歳が下がるにつれて英語力が上がっていった。Booking.comの予約ページの紙を印刷して見せたら「こんな早い時間に来ると思ってなかったので驚いている」と言われた。逆に何時にチェックインするのが普通なんですか?

 通された部屋は一泊2000円もしない安宿なのにダブルベッドかつだだっ広い部屋で面食らった。この広さにかまけて荷物を広げたら大変なことになると思い、全く活用しなかった。

広すぎる宿

 一息ついたら即旧市街へ街ブラに出かけた。ホアンキエム湖の東端まで行ってから反時計回りにぐるりと回って帰ってきた。国立図書館や宗教出版社を尻目にリータイトー像などを見物した。どの店にもthần tàiやthở côngを祀る祭壇があってテンションが上がった。

こういう祭壇がどこにでもある

 どこで飯を食うか全く考えないままブラブラしたせいで、出国してから10時間も飲まず食わずだった。適当に見かけた店でフォーを食べた。普通の美味しさ。

ビールも頼んだが忘れられていた。ベトナムでは飲み物を忘れられることが多い気がする。

 宿のシャンプーや石鹸が貧弱だったことを思い出し、石鹸類と水の買い出しのためWinmartに寄る。値段を言われて全然対応できず焦る。日本で読み書きは完璧でもやはり実践が足りないといざという時役に立たないことを痛感した。

 ベトナムでは宿にパスポートを預けるのが慣例なのだが、国立図書館の利用証を作るにはパスポートが必要なのでその旨を伝えるためのベトナム語を書いたメモを作った。今思うとビビりすぎだと思うが、初めての単身海外渡航はそんなもんだろう。

 宿のコンセントが気の利かない場所にあって苦労したり、ベッドに虫が湧いて注意を削がれたりしつつも疲労のおかげですぐに寝付いた。

 

2日目

 宿の従業員にメモを見せ、無事にパスポートをゲット。国立図書館の利用証作成受付はヘラヘラしてはいるが優しいanhと厳しいbàでちょっと怖くなった。ベトナム人も何人か来ており、見様見真似で申請書を記入する。英語版の申請書を渡され、外国人利用者もそれなりにいるのだと驚いた。120kドンとパスポートと申請書を渡すと隣の椅子に座らされ、そのままカードに載せる写真を撮られた。なかなかふてぶてしい顔に仕上がっており満足。

髪がボサボサです

 本館に足を踏み入れると、タムロしていたベトナム人学生に日本語で「日本人ですか?」と聞かれて驚いた。別に日本語の何かを所持していたわけでもないのに。なんのために来たのか聞かれ、仏教についての本を買って帰りたいからここでどんな本があるか探したいというと、受付に聞いてみるといいと言われた。突然の親切に戸惑いながら受付に行くと、かなり愛想の良くないchịが鎮座していたため怯んで退散。

 人文社会系書籍を開架で閲覧できるフロアに行ったら、一階の受付でロッカーの鍵を借りてこいと言われ何度も階段を往復する羽目になった。ベトナムの大きな書店や図書館ではリュックなどの大きな荷物はロッカーに預けなければいけないことが多い事をこの日よく学ぶことになる。

 無事荷物をロッカーに入れ、利用証をフロアの管理人に預け、いざ開架エリアに足を踏み入れたが、全く本が探せない。OPAC検索システムはあるのだが、どこに置いてあるのかがいまいちわからない。書籍のラベル番号が判明しても、棚には全くその通りに置かれていないので全然探せない。仕方がないのでしらみつぶしに全ての棚を見たが、宗教系の書籍はほとんどなかった。つまり無駄足だったのだ。まあベトナムで何か身分証明書的なカードを作れただけでも満足している。おそらく閉架で本領発揮するタイプの図書館なのだろう。

 

 図書館の冷房が日本人には全然涼しく感じられないので、すっかり汗だくになった。暑いだけで体力を消耗するので、近くでbánh canh ghẹとbia sài gònをキメた。ベトナムのビールは私の中では清涼飲料水扱いなので昼から飲んでもセーフとした。

もやしが本当に美味しくなかった

 すっかり体力を回復し、本屋の多いĐinh Lễ通りに繰り出した。三軒目に入ったNhà sách Lâmで漢越仏学辞典や最も充実した越越辞典、大蔵経越中対応目録などを発見し、2333kドンも爆買いした。あまりに重いから車を出してくれようとしたが上手くホテルの場所を伝える自信も度胸もなかったので断ると、段ボールに包んでくれたので本当に感謝した。15分くらいも歩いて持ち運んだが、途中3回はぎっくり腰の危機に瀕したと思う。

 ホテルに取り敢えず本を置いて、初Grabで再度Đinh Lễ通りに着弾。今度はTràng Tiền通りにも足を伸ばすと、Công ty cổ phản sách việt namで研究書を沢山見つけ、ここでも1603kドンほど爆買い。ベトナム語が下手くそなくせに本を爆買いする外国人が面白かったらしく、ロッカーに荷物を預けろと促す警備員と会計の店員に笑われた。

 ホテルにまた本を置き、ハノイのブックストリートに足を伸ばした。こちらは研究書の類はほとんど置いておらず、空振りだなという印象。帰りに近くにトレインストリートで激うまココナッツスムージーを飲み、買い出しを終了。半ヘル2ケツで交通量の多いハノイ市街を駆け抜けるGrabにすっかりハマった。

スムージー(笑)とか思ってごめんなさい、と素直に反省した

 

 夜はすっかり疲れたので宿の近くのbúnが評判の屋台に赴いた。bún ốcが評判の店だったが、貝の気分ではなかったのでbún riêu(トマト麺)を注文。45kドンだった気がする。最高に美味しかった。

屋台のローカル感に怯まない心が大切

 その後市街地の日系スーパーまで赴き、虫除けスプレーを調達した。冷蔵庫に大容量の銀杏が売られていて、妙に気になった。

ぎんなん

 宿に帰って本を検索すると、なんと『Lịch sử tư tưởng Việt Nam và Phật giáo trong lịch sử tư tưởng Việt Nam(ベトナム思想史とベトナム思想史の中の仏教)』なる本が去年出ていたらしい事を知る。どうしてもこの本は買って帰らなければならないという使命感に駆られ、明日も本探しをしようと思いながら就寝。あらゆるところに虫除けスプレーをかけたら虫は出なくなった。

 

3日目

 ベトナム仏教教会の本部があるchùa quán sứとその通りで仏教関連書籍探しに繰り出した。禅苑集英という陳朝の禅宗伝記なども並行して探すが、見つからない。出店にも本を売っている人たちがおり、探している本の表紙を見せるも知らないという。あるかもしれない店を知っているからバイクで乗せてってやると言われ応じたら昨日しらみつぶしに探したĐinh Lễ通りに連れてこられ、しかもGrab相場の2倍要求されて徒労感に浸った。Nhà sách Lâmの店先には昨日対応してくれたbàがおり、苦笑いされた。

 仕方ないのでGrabでQuán Sứ通りに舞い戻り、chùa quán sứを参拝した。大学のベトナム語の授業で何回か読んだことがあるbáo giác ngộの直売店があったり、賽銭箱にnam mô a di đà phật(南無阿弥陀仏)と書いてあるのを見たりしてテンションは回復した。通りの仏具店でブッダマシーンを入手し、研究室と仏教青年会へのお土産とした。そして懲りずにちょっと遠方の本屋にGrabで繰り出しては振られを繰り返した。ベトナムに行く人はFAHASA書店を勧められることが多いと思うが、大したものは置いていない。絶対に欲しいと思った例の本がベトナムの通販で買えるのを見つけたが、どう頑張っても最速でチェックアウト日に到着するらしいので出版社凸を決意した。しかし出版社は土日休みなので、土日と悶々とした日々を過ごすこととなる。

南無阿弥陀仏

 

 夜は冥器を扱う店の多いHàng mã通りに行きがてらベトナム人の知人に教えてもらった phở Lâmなる店でフォーを食べようと思ったが、店は閉まっていた。葬儀場で霊柩車や棺を見たり、旧市街の古い寺社をしらみつぶしに廻り、大満足を得た。どの寺も救国烈士の慰霊や聖母(キリスト教のマリアではない)や陳興道を祀っており、勉強した通りだとテンションが上がった。

道教系の祭壇は本当にすごい

 ビアホイ、つまり居酒屋の多いTạ Hiện通りに出ると、もう歩く隙間もないほど人が殺到しており活気に満ち溢れていた。まるで緊急事態宣言下でも無視して繁盛するアメ横の居酒屋や新橋の新時代のような活気だった。白人が全くマスクをしていないのが目立つ。

左奥でステージの設営もされていた、これがウィズコロナか

 結局そんなところで食べる気にもならず、Đông Kinh Nghĩa Thục広場の方まで出て、bún chả nem rảnをいただく。120kドンくらいだったように思う。この頃になるとベトナム語での注文もお手の物になってきて、trà đáなんかも一丁前に嗜んだ。

日本で食べると大して美味くないが、現地のブンチャーは炭火とハーブの香りが絶妙にマッチしてとても美味い

 この頃になると冷たくて重めのビールが恋しくなってきて、ホーチミンの有名ブルワリーEAST WESTのクラフトビールを調達した。買ってきて飲むのではぬるいから、夕飯を食べに出かける前に宿の冷蔵庫に放り込んでおいて、帰ってキンキンに冷えたのを飲むのが正解だと学習した。

 

この辺までは久方ぶりの来越でテンションにブーストがかかっていたのだが…。続く。