越南滞在記① 前日譚〜3日目
ベトナムの首都ハノイに一週間滞在した。目的はベトナムの仏教に関連する辞書や研究書の買い出し及び寺社見物。ベトナム語は硬い文章なら読み書きできるが日常会話はさっぱり&英語は受験で使った中で一番苦手程度の語学力で生き延びた記録を残す。
前日譚
4月か5月くらいにベトナム入国時の検疫が撤廃され、検査無しでの入国が可能になった。日本帰国時のPCR検査がネックだったが、在ベトナム日本大使館にPCR検査可能な病院がピックアップされていたし、何よりベトジェットエアが出国便に無料バウチャーでPCR検査をつけていたから、まあなんとか行って帰ってこられるだろうと判断した。
航空券は往復で370ドル程度。宿は一週間泊まって1万円程度。コロナ禍により外国人観光客が激減したせいで安宿はラブホテルになっていることが多く、宿を決めるのに苦戦した。
元々今年の夏にベトナムに渡航しようと考えてはいたが、舌の痛みに悩まされ大きな病院に罹るなど健康不安が頻発しており躊躇っていた。原因が亜鉛不足と判明したその日の夜に勢いで航空券と宿を取った。逆に勢いがなければ踏ん切りはつかなかっただろう。
1日目
7/27。成田まで遠いのでとりあえず始発に乗るつもりだったが、出る直前に買いたい本の目録を作ったりTwitterに気を取られて乗り換えを間違えたりしたせいで結局予定より1時間遅れて成田に着いた。遅刻厳禁の時にTwitterを開くべきではない。
いくら持っていくのかも決めていなかったが、空港でなんとなく5万円を下ろす。ATMは案外24時間営業ではないので注意。
搭乗時、空港の職員に「在留カード持ってますか?」と聞かれる。ベトナム行きの便はベトナム人ばかりだった。おそらく日本で生まれてベトナムには初めて行くのであろうベトナム人同士の子供も多かった。まあベトナム人に間違われたのはツーブロックだったせいだと思う。日本人は顔認証ゲートを通るだけだし乗る人も少ないので超快適だったが、外国人の出国ゲートはごった返していた。
搭乗率は9割くらいあったかのように思う。離陸前は明るいV-popが延々と流れていて、ちょっと気が狂いそうになった。
LCCの安い座席で6時間近く拘束されるのは結構辛い。余裕があればベトナム航空などに乗るべきだと思う。寝られない昼便なら尚更。
当然と言えば当然なのだが、乗ったら本当にベトナムについてちょっとウケた。あまり現実味がなかった。空港近くに生えている木が明らかに日本とは違って上の方にこんもりと枝葉がついていて、外国に来たなとしみじみ感じた。因みに着陸時はしっとりしたベトナム歌謡曲が掛かった。テーマ性があってちょっとウケた。
事前にAmazonで買ったSIMカードを差してアクティベート完了。povoは海外ローミングまだ対応していないので、ベトナム保健省のPCR検査登録に使う電話番号に使うべきではない。ログアウトされてしまったら一巻の終わりだとずっとヒヤヒヤしていたが、結局ログアウトされることはなかったからよかった。現地でSMS認証ができるかどうかは結構大切になってくるので、念頭に入れておくべきだと思う。
入国審査はベトナム人も外国人も等しく有人審査。無言で公安の人間に睨まれるのは結構怖いが、まあ特に何か言われはしない。海外旅行保険と出国便は必須だと思っていたが何も聞かれなかった。
受託手荷物が出てくるのがひたすら遅く、空腹で倒れるかと思った。税関ゲートも適当に通り、両替して準備完了。5万円が8600kドンに化けた。レートが渋いがまあ円安もあるし仕方ない。
空港からハノイ中心部までは20km程度あるが、何で移動するか特に考えていなかった。公共バスの86番線に結局乗った。航空会社のミニバスとかタクシーとかなんか胡散臭いので。因みに86番線はインターネットだと35kドンと書いてあることが多い(し、ハノイ駅の停留所にもそう書いてある)が、今は45kドンかかる。
西湖・ホアンキエム湖の東側を通って中心地に到着。最終到着地はハノイ駅。宿はハノイ駅からすぐだったのでかなり使い勝手の良い路線だと思った。駅のすぐ近くにchùa tiên tíchという寺があり、即テンションが上がった。
6年前に来たのと変わらないガタガタの歩道と交通量の多さに少し怯みながらも宿にチェックインしたのが14時過ぎ。宿はおそらく家族経営で、歳が下がるにつれて英語力が上がっていった。Booking.comの予約ページの紙を印刷して見せたら「こんな早い時間に来ると思ってなかったので驚いている」と言われた。逆に何時にチェックインするのが普通なんですか?
通された部屋は一泊2000円もしない安宿なのにダブルベッドかつだだっ広い部屋で面食らった。この広さにかまけて荷物を広げたら大変なことになると思い、全く活用しなかった。
一息ついたら即旧市街へ街ブラに出かけた。ホアンキエム湖の東端まで行ってから反時計回りにぐるりと回って帰ってきた。国立図書館や宗教出版社を尻目にリータイトー像などを見物した。どの店にもthần tàiやthở côngを祀る祭壇があってテンションが上がった。
どこで飯を食うか全く考えないままブラブラしたせいで、出国してから10時間も飲まず食わずだった。適当に見かけた店でフォーを食べた。普通の美味しさ。
宿のシャンプーや石鹸が貧弱だったことを思い出し、石鹸類と水の買い出しのためWinmartに寄る。値段を言われて全然対応できず焦る。日本で読み書きは完璧でもやはり実践が足りないといざという時役に立たないことを痛感した。
ベトナムでは宿にパスポートを預けるのが慣例なのだが、国立図書館の利用証を作るにはパスポートが必要なのでその旨を伝えるためのベトナム語を書いたメモを作った。今思うとビビりすぎだと思うが、初めての単身海外渡航はそんなもんだろう。
宿のコンセントが気の利かない場所にあって苦労したり、ベッドに虫が湧いて注意を削がれたりしつつも疲労のおかげですぐに寝付いた。
2日目
宿の従業員にメモを見せ、無事にパスポートをゲット。国立図書館の利用証作成受付はヘラヘラしてはいるが優しいanhと厳しいbàでちょっと怖くなった。ベトナム人も何人か来ており、見様見真似で申請書を記入する。英語版の申請書を渡され、外国人利用者もそれなりにいるのだと驚いた。120kドンとパスポートと申請書を渡すと隣の椅子に座らされ、そのままカードに載せる写真を撮られた。なかなかふてぶてしい顔に仕上がっており満足。
本館に足を踏み入れると、タムロしていたベトナム人学生に日本語で「日本人ですか?」と聞かれて驚いた。別に日本語の何かを所持していたわけでもないのに。なんのために来たのか聞かれ、仏教についての本を買って帰りたいからここでどんな本があるか探したいというと、受付に聞いてみるといいと言われた。突然の親切に戸惑いながら受付に行くと、かなり愛想の良くないchịが鎮座していたため怯んで退散。
人文社会系書籍を開架で閲覧できるフロアに行ったら、一階の受付でロッカーの鍵を借りてこいと言われ何度も階段を往復する羽目になった。ベトナムの大きな書店や図書館ではリュックなどの大きな荷物はロッカーに預けなければいけないことが多い事をこの日よく学ぶことになる。
無事荷物をロッカーに入れ、利用証をフロアの管理人に預け、いざ開架エリアに足を踏み入れたが、全く本が探せない。OPAC検索システムはあるのだが、どこに置いてあるのかがいまいちわからない。書籍のラベル番号が判明しても、棚には全くその通りに置かれていないので全然探せない。仕方がないのでしらみつぶしに全ての棚を見たが、宗教系の書籍はほとんどなかった。つまり無駄足だったのだ。まあベトナムで何か身分証明書的なカードを作れただけでも満足している。おそらく閉架で本領発揮するタイプの図書館なのだろう。
図書館の冷房が日本人には全然涼しく感じられないので、すっかり汗だくになった。暑いだけで体力を消耗するので、近くでbánh canh ghẹとbia sài gònをキメた。ベトナムのビールは私の中では清涼飲料水扱いなので昼から飲んでもセーフとした。
すっかり体力を回復し、本屋の多いĐinh Lễ通りに繰り出した。三軒目に入ったNhà sách Lâmで漢越仏学辞典や最も充実した越越辞典、大蔵経の越中対応目録などを発見し、2333kドンも爆買いした。あまりに重いから車を出してくれようとしたが上手くホテルの場所を伝える自信も度胸もなかったので断ると、段ボールに包んでくれたので本当に感謝した。15分くらいも歩いて持ち運んだが、途中3回はぎっくり腰の危機に瀕したと思う。
ホテルに取り敢えず本を置いて、初Grabで再度Đinh Lễ通りに着弾。今度はTràng Tiền通りにも足を伸ばすと、Công ty cổ phản sách việt namで研究書を沢山見つけ、ここでも1603kドンほど爆買い。ベトナム語が下手くそなくせに本を爆買いする外国人が面白かったらしく、ロッカーに荷物を預けろと促す警備員と会計の店員に笑われた。
ホテルにまた本を置き、ハノイのブックストリートに足を伸ばした。こちらは研究書の類はほとんど置いておらず、空振りだなという印象。帰りに近くにトレインストリートで激うまココナッツスムージーを飲み、買い出しを終了。半ヘル2ケツで交通量の多いハノイ市街を駆け抜けるGrabにすっかりハマった。
夜はすっかり疲れたので宿の近くのbúnが評判の屋台に赴いた。bún ốcが評判の店だったが、貝の気分ではなかったのでbún riêu(トマト麺)を注文。45kドンだった気がする。最高に美味しかった。
その後市街地の日系スーパーまで赴き、虫除けスプレーを調達した。冷蔵庫に大容量の銀杏が売られていて、妙に気になった。
宿に帰って本を検索すると、なんと『Lịch sử tư tưởng Việt Nam và Phật giáo trong lịch sử tư tưởng Việt Nam(ベトナム思想史とベトナム思想史の中の仏教)』なる本が去年出ていたらしい事を知る。どうしてもこの本は買って帰らなければならないという使命感に駆られ、明日も本探しをしようと思いながら就寝。あらゆるところに虫除けスプレーをかけたら虫は出なくなった。
3日目
ベトナム仏教教会の本部があるchùa quán sứとその通りで仏教関連書籍探しに繰り出した。禅苑集英という陳朝の禅宗伝記なども並行して探すが、見つからない。出店にも本を売っている人たちがおり、探している本の表紙を見せるも知らないという。あるかもしれない店を知っているからバイクで乗せてってやると言われ応じたら昨日しらみつぶしに探したĐinh Lễ通りに連れてこられ、しかもGrab相場の2倍要求されて徒労感に浸った。Nhà sách Lâmの店先には昨日対応してくれたbàがおり、苦笑いされた。
仕方ないのでGrabでQuán Sứ通りに舞い戻り、chùa quán sứを参拝した。大学のベトナム語の授業で何回か読んだことがあるbáo giác ngộの直売店があったり、賽銭箱にnam mô a di đà phật(南無阿弥陀仏)と書いてあるのを見たりしてテンションは回復した。通りの仏具店でブッダマシーンを入手し、研究室と仏教青年会へのお土産とした。そして懲りずにちょっと遠方の本屋にGrabで繰り出しては振られを繰り返した。ベトナムに行く人はFAHASA書店を勧められることが多いと思うが、大したものは置いていない。絶対に欲しいと思った例の本がベトナムの通販で買えるのを見つけたが、どう頑張っても最速でチェックアウト日に到着するらしいので出版社凸を決意した。しかし出版社は土日休みなので、土日と悶々とした日々を過ごすこととなる。
夜は冥器を扱う店の多いHàng mã通りに行きがてらベトナム人の知人に教えてもらった phở Lâmなる店でフォーを食べようと思ったが、店は閉まっていた。葬儀場で霊柩車や棺を見たり、旧市街の古い寺社をしらみつぶしに廻り、大満足を得た。どの寺も救国烈士の慰霊や聖母(キリスト教のマリアではない)や陳興道を祀っており、勉強した通りだとテンションが上がった。
ビアホイ、つまり居酒屋の多いTạ Hiện通りに出ると、もう歩く隙間もないほど人が殺到しており活気に満ち溢れていた。まるで緊急事態宣言下でも無視して繁盛するアメ横の居酒屋や新橋の新時代のような活気だった。白人が全くマスクをしていないのが目立つ。
結局そんなところで食べる気にもならず、Đông Kinh Nghĩa Thục広場の方まで出て、bún chả nem rảnをいただく。120kドンくらいだったように思う。この頃になるとベトナム語での注文もお手の物になってきて、trà đáなんかも一丁前に嗜んだ。
この頃になると冷たくて重めのビールが恋しくなってきて、ホーチミンの有名ブルワリーEAST WESTのクラフトビールを調達した。買ってきて飲むのではぬるいから、夕飯を食べに出かける前に宿の冷蔵庫に放り込んでおいて、帰ってキンキンに冷えたのを飲むのが正解だと学習した。
この辺までは久方ぶりの来越でテンションにブーストがかかっていたのだが…。続く。